[沖縄で私らしく働く Love my work]
沖縄で自分らしい『働き方』を見つけ、生き生きと暮らす人をインタビュー
沖縄クルチとの出会いで彫刻家に
ARTICLE2021.06 vol.03
vol.02 / 高橋哲平さん
8畳ほどの工房(作業場)には綺麗に並べられた作品の数々と、柱のように大きな木から、その端切のような端材が所狭しと無造作に置かれている。そこで取材させて頂いたのは、沖縄の弦楽器、三線(さんしん)の棹(さお)に使われている高級材木、黒檀(こくたん)に出会ったことで運命の仕事に出会った高橋氏。彼に黒檀の魅力と作品にかける想いと作家への道のりを伺いました。
文 / 山内良子
やりたいことがなかった
沖縄移住を試みたのは25歳の時。それまで特にやりたいことも見つからず、地元に遊ぶ友達もいない。何の目的も目標もなかったけれど、沖縄ブームだったからお金を貯めて一人で来ました。当時は、昼は食堂、夜は居酒屋と。飲食店で朝から晩まで働いていました。その時に毎日出る残飯の量を見るのがイヤで、いったい日本でどれだけの廃棄量があるのだろうと考えたらゾッとした覚えがあります。僕はお陰様で『舌バカ』なので何でも美味しく食べられるので助かっています(笑)。沖縄で黒檀に出会ってから時間があればいつも黒檀を削り磨く毎日。移住後に一度、地元に戻る期間があったのですが、創作活動は続けていました。しかし、黒檀の入手が困難だったのと沖縄への未練もあり再来沖しました。
黒檀(こくたん)との出会い
「これは木なのか?」住んでいた敷地内に見つけて驚きました。黒檀を持った時に今までにない感触に衝撃を受け「何か作ってみたい」という衝動に駆られました。触るだけで酒が飲めるし、いい木の端材を見るとワクワクする自分がいて、何かに取り憑かれたように木を削り磨いていました。当初は仕事にするわけでなく、ホームセンターで削る道具を購入し、黒檀もそこで買っていました。しかし、もっといい木が欲しくなる。何処かで入手できないものかと、僕のSNSの記事を見てくれた三線屋さんから連絡が来て、端材を譲ってくれるようになったのです。三線の作り手は、この木の価値がわかるから、端材でも捨てられないという。僕も同じで木を削って出た粉でさえ捨てられず、その粉を集めて作品を作りました。それが能面。見る角度で表情が異なり、肌馴染みがいい。黒檀は捨てる所がないから、食糧を捨てるような罪悪感がない。
偶然にできた、螺旋
2年ほど黒檀を削り続けた頃、ある日突然、意図せずに三重の螺旋ができた。自分でもどう作ったか分からず、作り方を逆戻りしては、工程を確認しました。そしてハイビスカスを見ていたら、つぼみを螺旋で表現したいと思い、黒檀ではなく琉球松で製作したこともあります。本格的に作品を作り始めて9年。知り合いのお店にアクセサリーを置いてもらったら反応がよかったので、それが励みとなり、制販売活動をし続けながら何度もトライ&エラーをして独自の技術を磨き作り上げてきました。美術展・工芸展に作品を出すようにしていると、いろんなオーダーが入るようになりました。それは僕への期待だと思うし、新たな技術を見出すチャンスと捉え、決して「できない」とは言わない。木の魅力と可能性を広げるためにどんなお題にもチャレンジしていきたいと思っています。
最後に「アイデアはまだまだある」と笑顔で力強い言葉を残してくれた高橋さん。次の工芸展には「バッタの翅をつくり出品したい」と意欲を燃やす。高橋さんが彫るバッタの翅は、私達が見たことがない世界を映し出し、新たな価値観を創造してくれるに違いない。
PROFILE
高橋哲平
Techura works代表 / 工芸家 / 彫刻家 / 螺旋彫り研究家。
沖縄へ移住し偶然見つけた黒檀に魅了され創作意欲が掻き立てられる。三線屋から黒檀の廃材を譲り受け、試行錯誤を繰り返しながら削り、磨き、アクセサリーからオブジェ・工芸品まで製作をし続け独自の技術を身に付けた。Techura worksとは、手作り(te)・美しい(chura)・創作品(works)の意。首里の工房にて日々創作活動を続けながら積極的に美芸術・工芸展にも出品。これまで20回以上もの入選・入賞を果たす。